ロルフィング体験記
Mさんが、体験記を送ってくれました。少し前は最初は抵抗があったのです。体験記のせるの。
でもロルフィングを受けなくたって、日々の日常のなかでも変化していくということのコアがかかれていると思うから載せさせてもらったんでした!

うれしくて泣けました。最近涙もろくなってきています。そんなときは一人で泣きます。基本的に、通過されるものです。私のお仕事は。だから形に残らない。そして忘れてしまうからこそいいと思っています。真剣に、ただただ地道に歩むだけ。でもこんなふうに、ちょっと宝物がもらえると、私でも誰かの役にたてるんだな。やっていてよかったなと思うのです。


神奈川県 Mさんより

人に体を触られる、というのは、思いのほか大きなこと。
その人に触りたいかどうかで、自分の正直な気持ちがわかるくらい。
なので、「この人だったら!」と思えたからこそ、
ロルフィングを受けることにしました。

もともと体には興味があったので、体への知識の下地はありました。
そんな知識はあっても、ヘルニアになってしまったおマヌケなわたしは、
整形外科はもちろん、整体、整骨院、鍼灸、エネルギー治療などなど、
さまざまなところへ通い、ほぼ完治、というところまでこぎつけていました。
そのときいちばん効いたのは、ストレスを取り除くエネルギー治療で、
結局体はこころがつくるのだ、というのが、そのときの結論でした。

そのため友だちからロルフィングを勧められたとき、
興味はあるものの、
体については自分なりに勉強したし、
治ったのだからもういいのでは?と思い、迷っていました。
もっと正直に言えば、
なにしろ1回分とそれにかける時間をみたら高くはないけれど、
10回受けるとなったら、かなりいい値段になってしまうから。
治療費ざんまいの日々で金欠になっていた身には、大決断!
ところが、みほこちゃんに会ってみて、こころがすっと決まったのです。
リラックスして身を任せる、それをしてもだいじょうぶな相手。
そう感じたからです。

そして初回のロルフィングのときに聞いた言葉、
「無理できなくなる」というのが、とても印象に残りました。
たぶんそのとき自分が、いちばん求めていたものだったのでしょう。

というのも、ちょうど人生の節目ともいえる変換期にいた自分は、
ロルフィングを通して体が整っていくのと同時に、
自分が整い、進路も決め、ちゃくちゃくとあたらしい自分を育てていったからです。
それはつまり、「自分を知る」という体験でした。
自分を知り、無理せず、のびやかに動くこと。
まだ見ぬ未来の自分の方が、より自分らしいなんて!
なんとも不思議なものです。

体も人と同様、正解は決まっていません。
いろんな風に、その人らしく、ラクになれればいいのだと思います。
それを体というカタチにさりげなく(としか言いようのないくらいわずかに)
働きかけてもらうことで、
自分の頭が理解するより先に、体がそのクセに気づき、ラクな動かし方を知り、
「ラクってこういうことか!すっごく自然!!!」と、体感するのです。
そして、そのことによって体以外の面でも、
「無理をしない自分を選んでいく」ということが、
なんとなくできてしまうようになりました。

ラクになるにあたっては、
違和感が起こったり、気持ちが揺らいだり、いろんな変化が起きます。
なにかが生まれる瞬間というのは、生々しい通過点が必要です。
だからこそラクになるとわかっていても、人は変化を求めなかったりします。
あたらしい自分に出会う日々。
変化はやっぱり怖かったけれど、同時に楽しくて、心底おもしろかった。

わたしにとってロルフィングは、苦労する自分を捨てる体験でした。
自分で言うのもなんですが、体もこころも敏感なので、
世の中と自分をどこか切り離していないとつらかったのです。
いつも夢見がちで、ふわふわしている自分。
心身ともに、どこか宙に浮いてるような…。

ところが、ちゃんとグラウンディングできるようになったら、
実は、体もこころもラクになる、ということがわかりました。
月面着陸ならぬ、地球着陸です!
軽やかさとは、地から離れることではなく、
しっかりと着くことからはじまるんですね。

そして、これらの変化を起こしてくれた、
ロルフィングという技術と同じくらい、
心身の解放を手伝ってくれた、
ニコニコのみほこちゃんの人柄に、感謝しています。
きっとみほこちゃんなくして、この変化はありえませんでした。

変化にいちばん必要なのは、「素直さ」だと思います。
あたらしいものを受け取るには、勇気とも言える、素直さが必要。
そして素直でいられるには、リラックスできる、安心感が必要です。
みほこちゃんの、やわらかな物腰と、その奥にある、骨太のたくましさ。
その安心感が、わたしに変化を受け取る余裕を与えてくれました。

ありがとう!!!
いつか恩返しします!
(えっ?いいって?じゃあいっか〜)



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とつぜんのしあわせ
ここ何年か、やらなきゃな〜と思っていたものがあって、それがちょっと重くのしかかっていたのです。
でも、べつにやってもやらなくてもいいんだな!と思ったら力が抜けた。なんのこっちゃの話かと思いますが(笑)、自分の中で結構な位置を占めていたんだなってつくづく思う。お花でも摘みながら、気楽にスキップしながらいきます。たぶんのんびりと。

今日夕方、ぽこっと時間が空いたので、都内へふらりとでてきました。
渋谷へ。お会いしてみたかった方にお会いでき、うれしかった。そのあと、ひさびさに代官山を散策しました。結構歩きました。歩くとぐんぐん言葉がでてきて面白いです。風が強かったけれど、ひとりでぷらぷら気ままなお散歩でした。

帰り横浜のスタバで小説を一気読み。「パレード」。いやー怖い話でした。ふふ。

帰り道にみた鎌倉の若宮大路の段葛の桜。今一番綺麗かもしれません。夜のぼんぼりがまたよい風情。桜をみるといろんな記憶がよみがえりますね。
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桜三昧
昨日は吉祥寺での出張セッションの後、夜の井の頭公園を通って吉祥寺駅への道でいーっぱいの桜をみました。ほんとうにきれいだった。公園は、桜のむせるくらいの香り。

帰ってきてから、鎌倉の段葛を通って、八幡様を通って帰る。
段葛もぼんぼりにうつる桜がまた綺麗でした。小さな木だけど、ずっと続く桜が夢のよう。夜桜がすきだなあ。
八幡様のお池のほとりにある桜も、水辺にせり出していちばんの見頃のようです。

薄ピンクにそまる今の季節の日本の不思議。これからゆっくり北上して、ひと月くらい日本のいろんなところで桜がみられるんでしょうね。
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つらつらと
今、お気に入りの夜桜をぷらぷら散歩しながらながめてきました。しんとした気持ち。夜の海をみている時も同じ感じがします。お散歩もなんてことはなく、近くの自動販売機でジュースをごとんと買って帰ってくるだけです。でも夜のお散歩はちょっと特別。(ちなみにしんとした気持ちは私の中で好きな感覚なんです。坐禅のときにも感じる穏やかな感じ。人によって違いますよね。)

アパートの前の道は、桜の並木道になっています。4年前にここの桜の並木が気に入って鎌倉のこの場所に越してきたんでした。ちょっと散り始めているけど、まだまだ綺麗です。

綾瀬にすんでいたころも、家に帰る途中通って来る公園の桜が綺麗だった。新宿御苑も、千鳥ヶ淵も、上野公園も、井の頭公園も、函館の五稜郭公園もどこも思い出がいっぱいです。ああ、五稜郭公園でのジンギスカンをしながらの花見をまたやりたい。。(結局食い意地ばかり)
桜って咲くとこんなに綺麗だった?って毎年思いますし、散っちゃうとあっという間に忘れてしまいますね。

寂しい気持ちになったり、やる気がでなかったり、身体が不安定になったりするこの時期は、ちょっと動くといいみたいです。たくさんでなくてちょっとでいい。
あと、これが好きってみつけられるものがあると、あったかい気持ちになり固まりがほどけてくるかも。あたしの足の指のこのラインが好きとか、この人の声が好きとか、電車で向いにすわっていた人の口の形が好みだとかそんなこと。この曲のこの部分がすきとか(そういえば、最近くるりのばらの花のレイハラカミバージョンを聴いてとてもよかったなあ)。私がみつけると身体とか、音楽になりがちですが、なんでもいいの。
そんなこんなで表面はうごいていなくても、根っこはしっかり伸びていると思います。

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あたりまえにはっとする

友達のおうちでいただきました。ガーリーなしつらえ。松の実と、黒こしょうのタルトですわよ。奥様!
珈琲のプロが入れてくれる美味しい珈琲!贅沢です。

ロルフィングのセッションは、一瞬がとても嬉しくて、楽しい。身体と向き合うのはやはり面白いです。そしてクライアントさんが発してくれるゆたかな言葉にはっとして、恥ずかしいながらもうれしくどこまでも飛んでいきたくなるほどです。でも、そんなふりもせずにいる私。表現へたです。心の中ではうれしいのです。

先日、渋谷にでかけたというのは、石井ゆかりさんのイベントにふらりといってきたんでした。渋谷というだけでぴんときたNさん!あなたはすごい。石井さんは、小柄で色の白い可愛らしい方でした。この小さなからだの中にあの膨大なパワフルさがあるのね!!石井さんのことばを楽しみに、毎週楽しみに筋トレをみています。そして、こちらも毎週楽しみにしているアストロまーささんの占い予備校に、先日こっそり参加したのですが、(このことはまた後日ゆっくりお伝えしようと思います)ものすごーく面白くて興味深かったのは、あたりまえのことを強烈に実感したこと。「ひとはみんな違う」ってこと。世界の見え方が違うんだなってこと。
毎週の占いも、自分の星座がどうこうよりも、ある週をまったく違う見方をもってそれぞれ生活しているんだなあって思うようになってきました。視点がかわって、どっきり。そして、自分にないものだからわかる世界もある。

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3月のライオン4巻
楽しみにしていた、3月のライオン4巻。読み終わってしまいました。渾身の作。
ふう。また次までお預けです。読むのはあっという間。
大変なんて簡単な言葉、言えないですが、作品を生み出すということは骨身をけずってこの世に今までなかったものを作り出すことですものね。何回も何回も繰り返し読もう。

そして、そろそろ将棋をしっかり勉強しないとわからなくなってきたような(ほんとうはもっと前からなんでしょうね〜)。ごまかしごまかし読んでいましたが(笑)。

ああ、おいなりさん食べたい。おいしそうーないなりさんが出てくるんです。
おいなりさんって、できればあまりなにも入っていないほうがいいけれど、漫画にでてくるみたいに、胡麻とレンコンが入っていてもいいなあ。卵はどうかな。五目おいなりさんより、シンプル好みであります。
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曇ったガラスのむこう
寒い雨だったから、友達の家族がぎゅっとのった車は、人の温度と息で曇っていました。
雨のふる外から見ると、それはそれは幸せのかたまりみたいだった。ほんわりあたたかくなる。

鎌倉はもう桜もすっかりこの雨で散ってしまいました。ちょっぴりさみしい。

さて、そろそろ次の季節。身体にはもうちょっと大変な時期かもしれませんが、どうぞひやさずあたためて。ずっとこうでは、ないはずです。

そうだ、昨日は真夜中においなりさんつくりました。


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新月のこと
さっき、新月になったばかりです。これからのこと新しいことをはじめるとよいそうですよ。

さて、抱腹絶倒の日々を、これからも過ごしたいものです。

行正さんのブログに、井上ひさしさんの書かれた文のことが載っていました。新聞の追悼の特集。
井上さんが以前に書かれたもののようです。

「むつかしいことをやさしく
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに、
まじめなことをゆかいに、
そしてゆかいなことは
あくまでもゆかいに」

いいな、いい言葉です。
そんなふうに伝えていけたら、ゆかいに暮らしていけそうです。
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懐かしい声
昨日は、夜に七尾旅人のライブへ。10年くらい前にライブでみた彼は20代のはじめだったんだなあって思ったら、時間の流れを感じました。まだ会社員でした。あのころ。
うーん。とてもいいライブ。お客さんがまたとてもいい感じでした。色っぽいというか。大人な感じ。

今日ははじめての方のロルフィングのセッションがあり、終わるころに「身体全体で呼吸しているのがわかる」って伝えてくださった。目の奥がきゅーっとするほど、うれしかったです。そうなんです。足でも、お尻でも、頭でも呼吸の波は感じられるんですね。それに気がついたらずっと感じられるけど、気がつかないと過ぎ去ってしまう。そんなふうに、いろいろ発見してもらうことが、ありがたくうれしい毎日です。

寒いとおもったら、みぞれみたいな雨。
冷やさずに、あたためて。
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1Q84 book3
ひさしぶりに夜更かし。1Q84のBook3を読んでいます。
わくわくわく。
2を読んでからしばらくたっているけれど、忘れていないだろうか。
そんな心配は無用でした。1ページ目からすぐあの月が2つでているあの世界へ。

自分のいろんな記憶もフラッシュバックしてくる。物語に入るというのは、自分の記憶の一部に入り込むようなもののような気がします。たとえば、ある一文の中に。からだのどこかが知っていることを、ほかのだれかが言い換えてくれるようなもの。そうだ、そうだったって思い返すように。

いまちょうど、第7章まで読み終わったところ。さすがにもう3時なので一度眠ります。きっと夢にでてくるに違いない。


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