あたらしい月
おはようございます。晴れました!4月。

あたらしい月。はじまりの月ですね。

気持ちよく、地に足をつけていきたいと思います。
気持ちがよいという状態は、きっとからだの内側を健やかにしてくれているんだと思います。
身体の叡智をいつも思っています。

私は音楽を聴きながら、コーヒーを飲んでいるところで、これからお掃除を少しします。
よき一日を!
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空の下
こんにちは。

きのうは辻堂へ。
Shabby blueのnaoさんは、あいかわらず美しくにっこりとお店にいらっしゃいました。かわいい雑貨にかこまれて。

いっしょにいったbunnyちゃんのにこまもり。shabbyさんでも買う事ができます。
私も鍵につけている〜。(汚い写真ですみません)

そのあと、lama coffeeでよしくんの美味しいコーヒーを飲みました。

よしくんは、生き生きと澄んだ目で、昨日もお店にいました。

毎朝、空をながめながらみんなどうしてるかなと思います。
会社にいる人、畑にいる人、お店にいる人、こどもたちと一緒に笑っている人、草場にいる人、本屋にいる人、コーヒーを作っている人、コーヒーをサーブしている人、作っている人、トリートメントをしている人、ロルフィングしている人、病院にいる人、うたっている人、踊っている人、音楽を聞いている人。ごはんをつくっている人。お掃除している人。書ききれないけど(笑)。思っています。



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明日の神話
JR渋谷駅から井の頭線へ向かうマークシティーの中の通路にある岡本太郎さんの絵「明日の神話」のことは、実際にご覧になった方も、ご存知な方も多いかと思います。
柱があってうまくとれなかったけど。

昨日の夜、この絵を眺めていました。久しぶりにあった大切な方たちと一緒に。立ち止まってみている人はあまり多くはなかったけれど、私たちは立ち止まってしばし、じっとみていました。この日のことは忘れないと思う。
絵のことについてはこちらをご覧いただくといいと思います。→

一瞬一瞬が大切だなって思いながらみていました。



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Mahina Pharmacy
楽しいお知らせのこと。

セルフヒーリングをテーマにしたウェブサイト「Mahina Pharmacy(マヒナファーマシー)」。
4月3日の新月の昨日、マヒナファーマシーがプレ・オープンしました。

Mahina Pharmacy(マヒナファーマシー)

http://www.mahinapharmacy.com/

これから少しずつ、準備中されていることが加わっていきます。のんびりと。
“月明かりが照らす暮らしの薬局”というコンセプトなのです。
わくわくするような、自分に戻るような、ほのかでいとおしいものになるのではないかと楽しみです。

私も今後、参加させていただく予定です。ふふふ。
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うつくしさ
おはようございます!今日も澄んだ気持ちのよいお天気ですね。

こちらはロンドンのTさんが送ってくださったウェストミンスター寺院。綺麗!
美しいものをみるっていいですねえ。美術館にいこうかな。白州正子さんの展示もみにいきたいな。

昨日、都内もちらほら桜の花や菜の花が咲いているのを見かけました。
鎌倉もだいぶほころんできましたよ〜!桜。

謙虚な防災意識は常にもちながら、楽しんで今日も過ごしたいと思います。


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自然は曲線をえがく
こんにちは。桜がいよいよ咲き始めましたね。春だ。


枝の影も曲線。

このあいだ、久しぶりに地面に大の字になって空をみながらお昼寝しました。
あったかくて、きもちがよかった。
顔の上には、桜の枝があって、ちょっとずつほころんでいるし、空は澄んでいました。

尊敬するヨガの先生がよくお伝えしてくださることに、すべては回転している。ということばがあります。
ロルフィングの考え方も、そうだなあって思う。
小さな回転が、いろんなところでおこって大きな動きになっている。

たとえば歩く時、左足のかかとで着地した足はかかとがやわらかく回転し、足の裏が回転し、力が指のほうにながれ親指の関節が回転し地面をやさしく触れて前にすすむエネルギーが生まれ、それがやわらかく膝に、股関節に、背骨にスパイラルの流れをもちながら頭の方向にむかって、抜けていく。

つぼみが開く時も回転しながらほころぶ。とんびも回転しながら飛んでる。桜のはなびらも丸いから、ひらひら回転しながら舞うのだそうですね。地球も丸くて、回転しています。


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桜の季節
こんばんは。私のすんでいる家の前には、素敵な桜の道があります。なかなか綺麗に咲いていて、眺めて歩く幸せを思います。

いろんなことがあって。

ずいぶんたくさんのものを知らない間に受け取っていたんだとあらためて思います。
気がつかないうちに。それが当たり前にあるように。

風がふけば、からだをよびさますことができるし、蛇口をひねれば、喉をうるおすことができる。
うぐいすの声をきけば、春だなあって思うし、海は静かにいろんなものを浄化してくれている。

自然への畏怖をもちながら、やっぱり希望をみていきたい。
現実はしっかりみながら。
無力で、なにもできないけれど、亡くなられた方たちを、被災されている方たちのことを、その土地を思いつづける。
少しずつでも自分でできることをやりつづける。できることはそれだけくらい。


明日は父の命日なんです。桜をみるといつも少しだけ父の最後の頃のことを思い出して、少し悲しい気持ちになっていたものですが、今年の桜は、本当に美しいと心から思います。

みなさんお疲れもでてくることかと思います。どうぞ素晴らしい週末を!                     


からだのケアのリスト→

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力がわいていくるもの
こんばんは。
昨日は朝、投票に行った後、東京の北の丸公園の東京国立近代美術館の岡本太郎展にいってきました。
出口でおみくじみたいに太郎さんの言葉がひけます。

こんなに一同にみることができるのも美術館ならでは。たくさんの人がいらしていました。
お子さんがたくさん来ていて、いきいきと自分の思った事を言葉にしていたのが印象的だったな。5月8日までです。
ゆっくりみたい方は、青山の岡本太郎記念館に行かれるといいかもしれません。こじんまりしているけれど、のんびりできると思います。記念館には何度も何度も行ったから、今回のは新しいという感じではなかったけれど、写真もみられたし、感動するというよりはお腹から力がでてくる感じになりました。

せっかくなので、千鳥ヶ淵から九段下まで歩く。
目の前にみえるものが、すべて桜。夢見たいな景色でした。

いろんなところでいっせいに咲く桜。日本の不思議。家の前の桜もとても綺麗です。






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おひさしぶりです
こんばんは。
少し間があいてしまいました。お元気ですか?
地震のあと、からだは元気でお仕事をしていましたが、喉が少しおかしくなって声がでにくくなって、そのあとこえがでるようになったら、ことばがでにくくなってちょっと不思議な一週間でした。

目の前には春がいっぱいでしたね。もう葉桜なんてはやい!


一泊で父のお墓参りに長野にも行きました。
杏が咲き始めていた。今頃みごろ。


みえるかな美しい北アルプス。

あの震災から一ヶ月が過ぎ、日々の濃さが日に日に増しているような気がします。
妹が災害支援ナースとして、4月4日から7日に石巻市に行っていました。そのあとまた一週間がたっていて日に日に状況は変わっていると思いますが、海に近い地域のある1つの場所のこととして、記録したものです。→

週刊ポストで北野武さんが書いていらしたこと。ずっと心に残っている言葉。

〜「こういう時に大事なのは想像力じゃないかって思う。この震災を『2万人が死んだ一つの事件』と考えると、被災者のことを本当の意味で理解できない。そうじゃなくて、そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ。本来、悲しみってのは個人的なものだから、一個人にとっては、他人が何万人死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことの方がずっと辛い。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいると考えれば、震災被害の『重み』がわかると思う」
「それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。『諦め』とか『覚悟』とまではいわないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ」〜

ほんとうに微力だ。だけど受け入れるしかない。日々を過ごしていくことしかない。

できることは、寄付と。そして忘れないことだとやはり思います。
一日も早い復興をと祈っています。





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あたたかいひと
ひとりの人の存在は、あまりに大きくてくらくらとめまいがするほどです。
永井宏さんの訃報は長野で知りました。
私は、直接は何度もはお話したことはありませんでしたが、友人知人の悲しみを思うと言葉がでないです。私が鎌倉に越してきたのも、ルーツをたどれば永井さんにあたります。湘南のすきなところ、自由な空気そのもののような方です。さきほど、生前に録音されていたラジオの番組を聴きました。移動していて、つながらず鎌倉についたとたん音が流れてきて最後のことばだけ聴く事ができました。

このラジオの音を、永井さんのことを思いながら聴いている人たちのことも思いました。それはとても綺麗であたたかい空気が一緒にありました。

私ができるのは、ただ不器用にそばにただいて、日常にいることくらいなのかもしれない。10年前に、周りの人たちがやってくれたようにはとてもできそうにないけれど。
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