古くからの祭祀を受け継いでいる佐太神社は出雲の国の二宮。松江にあります。
神在祭の神送りの神事のこと、少し長くなります。自分の備忘録の為に書いておきますがご興味があればよかったら。
11月25日に行われる神送りの神事のことをお世話になっている先輩から最初に聞いた時、ずいぶん自分とは遠い場所の遠い話だと思っていました。へえそんなお祭りがあるのですね、というくらいに。
夜の8時から行われること。
神社の境内で行われた後、皆で列になり小さなお山の上でもう一度神事をするということ。
言葉を発してはいけないこと。あかりは提灯だけ。
神主さんたちの祝詞も、無言。
ということだけ、ぼんやりと認識はしていました。
それが、なぜかいくことに。なぜー。
山陰には、お友達たちが住んでいて、彼らがこの神事に参加する必要はなくても、このことが行われているっていうことだけでも知っておくといいっていうことだけなのかもしれないなと、行った後に思いました。だからこの記録はそのためのものでもあるかもしれません。この季節にそういう歴史がずーっとあるらしいということを。
その神事は、想像していたものよりきっとずっと古くからあり、いろんな歴史を経過して今あるようです。
もしご興味がある方は、佐太神社のホームページに神在祭について少し書いてありました。世の中には知らないことがたくさんありますね。ご興味のある方はこちらをどうぞ。→⭐
物忌みと言われても、あまりピンとこなかったのですが、昔は、この地域の神事の期間は、煮炊き、創作、歌も、喧嘩も、何かを作ったり、髪を切ったり、爪を切ったりもしなかったそうです。厳粛な禊という感じなのでしょうか。
もちろん今はそこまではしないようですが、それでも神事の間の厳粛な雰囲気は、神事というより終始お葬式に近いようにも感じました。きっとそれはとても近いものなのかもしれません。
ここからは私の経験した目線でのおはなし。この神事は全く言葉での指示がありません。
基本的には、この地域の方々の神事を外から見させていただくというスタンスであるということ。
でも誰でも参加はできるようでした。じっとして寒いので、どうか暖かくしていかれてください。
8時になると境内が真っ暗になるので、その前に境内で、御供幣と神盃をお分けいただきます。500円だったと思います。
行灯も境内で買えるようでした。無言の神事が1時間弱くらい、一段低い境内でそれを静かに見守ります。
その後、一度右手の建物の中に、神主さんたちが入りしばらく中でも神事があるようでした。
襖が開き、地元の方達が呼ばれ、おーと低い声で答えると共に、大きな提灯を受け取り提灯行列が始まります。近所の山まで歩いていくのです。その後をわたしたちも後ろからついていきます。
先日も夜に少し雪が舞っていましたが、この日はお天気でした。民家を抜け、暗い夜道を行列は静かに山道をのぼっていきます。
山の中の道は少し滑りやすいけれど、提灯を持っていらっしゃる方の近くを歩くといいかもしれません。
提灯行列は昔のお葬式のようでした。本当にそんな感じ。厳粛な。
歩いて少し暖かくなったからなのか、足元の腐葉土が暖かいのか、山の中の道は真っ暗なのになぜか安心して、あたたかな気持ちで歩いていました。いつのまにか、亡くなった人たちの顔を思い浮かべたりもしていました。
父や、義理の父、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、私はあったことがないけれどずっと昔のご縁のある先祖の方達。他にも色々。なんだかありがたいなあという気持ちで歩いていました。私たちは「生かされている」
山の上の、ぽっかりあいた広場に到着して、儀場の神官さんたちの周りをぐるりと囲みます。
いただいた御幣は、神おくりの儀式のときに、山上につくった祭場の周りにお供えするようです。地面にさします。
(ふと思いついた場面は闇の守り人の槍舞の儀式がはじまる前のようでした。)
神様を空へ送る儀式の後、最後お神酒をいただいて、帰り道につきます。
下りは、提灯の火もすっかり消えている方も多くて、もしかしたら小さなペンライトがあるといいのかもしれません。
神社に帰ってくると夜中10時半くらいだったように思います。
言葉にすることこんな感じです。でもこれだけではないような気がします。
真っ暗な山道を登るということもそんなにしたことがないし、ましてや夜の神事ということも、知らない地域ということも。
闇が深く、いろんなものが蠢いて。
数日経ってやっと少し落ち着いてきたようです。体の中も動いていたように思います。再生した感じです。
また来年も頑張ろう。まだ一ヶ月あるけど。